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科学の力ってすげー?

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【本】流れとかたち――万物のデザインを決める新たな物理法則



ポピュラー・サイエンスの著者たちというのは、私の印象では、
サイエンス業界内では手を取り支え合い、
科学に否定的な業界に団結して立ち向かっている、という感がある。

たとえば、後天環境が全てという社会主義的思い込みを論破しようとする
スティーブン・ピンカーが、進化生物学者のリチャード・ドーキンスを
援用するような。

が、本書の著者ベジャンは、そういったサイエンス業界の面々に対して、
平然と「間違っている」と言ってのける。
それは、彼らが固有の専門分野に閉ざされた視座で自然科学を扱おうとするから、
もっと大きくて、統合的な原理を見逃している、という主張である。

その統合原理こそ、コンストラクタル法則、ということになる。

このコンストラクタル法則、説明が簡単なようで難しいが著者の言葉を借りると
「自然界において肉眼で見える形と構造の現れ方を支配する物理法則」
「流れるもの動くものはすべて存在し続けるために進化するデザインを生み出す」
ということである。

この法則、納得できますか、トンデモに聞こえますか?
コンストラクタル法則を耳にし、考えることになった人は、
おそらく、前者か後者にくっきり分かれるような気がする。

私自身は、前者である。
常々これまで、自己組織化と、べき乗の分布が様々なところに共通して
見られることに私は不思議さを感じていた。
たとえば、ある系の中の岩石の質量と個数の関係を見れば、べき乗分布になるし、
あるいは本やCDの売り上げランキングもべき乗になる(そしてロングテールが生まれる)。
また、株式市場の価格の変動は、正規分布にはおさまりきらない異常値が出る、
それは故マンデルブロやタレブが言うようにランダムではないべき乗の世界だから、ということになる。

こういった、自然現象や人間社会の数値分布になぜ類似性があるかということについて、
「それは自己組織化される系」だから、というのは、分かるようでいまいちしっくり来ない
答えだと思っていた。

だが、ベジャンのコンストラクタル法則の視座に立てば、そこには納得いく解が生まれる。
それらはいずれも相互作用しあって、「流れをよくする」ようなデザインを構成し続けるからこそ、
階層化が発生し、少数の大きな物と、多数の小さな物とが最適な効率を目指して配分され続けるという
現象がおこり、結果、べき乗的な分布を目にする、ということになる。
自然現象も、人間社会の市場も、流れているという点では同じことで、
逆に社会主義体制下のように、流れを不自然に止めてしまうと市場は機能せず、代替的に闇取り引きを
せざるを得ないということになるのではと思う。

さてしかし、私のようなふつーの人間は、コンストラクタル法則を理解して、
どうよりよく生きることにつなげるか。そこが大切だと思うのである。
私の今時点での答えは「不自然に流れを止めている物を見つけ、それを取り除く」ことを
重視していけばよいのでは、ということである。

たとえば、昨今TPPで議論されるような関税障壁の類いにしても、あれは一種の市場規制な
わけで、いるかいらないかでいえば、コンストラクタル法則の原理を考えれば、まずもって
いらないのである。
国内産業の保護はどうする、という反論がありそうだが、そもそも保護しないと生きられない
産業であれば、いらないのだ。
実際、日本の自動車産業にしても、国は大して保護もしてくれなかったのに、
それは本当に需要があり、かついいものを適切に供給し続けた企業、業界の力で、
結果的に大きく育ったのである。
いっぽう、補助金漬けにした農業がどうなっているかというと、触れるまでもない。

おそらく自然界と人間社会で違うのは「既得権」に心をがっちりロックされるてる人とか、
あるいは「知財保護」のような実利の乏しいものにこだわって流動性を止める人とか、
そんなのが多いので、流れが悪くなっていることがたくさんあるのだと思う。

コンストラクタル法則そのものが、科学界で受け入れられるのかどうかは定かではないが
(この細分化の科学の「流れ」を見ると難しい気はする)、
むしろ経済・政治や市民生活のようなフィールドから、有効に生かしていくほうが面白い気はする。

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流れとかたち――万物のデザインを決める新たな物理法則 [単行本]
エイドリアン・ベジャン (著), J. ペダー・ゼイン (編集), 柴田裕之 (翻訳)
Design in Nature: How the Constructal Law Governs Evolution in Biology, Physics, Technology, and Social Organization [Hardcover]
by Adrian Bejan , J. Peder Zane
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【本】なぜあの人はあやまちを認めないのか



justify: 正当化する
我々はどうしてその心理に陥ってしまい、そしてその結果何が起こるのか。
そこから抜け出す術はあるのか。
豊富な事例と心理学の知見に基づき、わかりやすく、
また厳しさと温かさをもって、生きるうえで大いに役立つ気づきを
与えてくれる一冊だ。

正当化の心理で一番恐ろしいというか、ある意味ですばらしい仕組みは
「純粋な善意の意識」でもって、現実をねじ曲げるところである。
心地よい正当化のハンモックの中に回帰していくことは、
真実を認め、ばつの悪い思いをするよりも、その場としては遥かに気持ちがいい。
だが、それを続けていくと、手が付けられないほどに自己弁護のピラミッドを
誤った方向に降りてしまい、ひどい違法行為や、人として許されざる行為をしてしまう。

日本の畑村洋太郎さんの提唱する「失敗学」にも大いに通じる話だと思った。
失敗を叱責する風土のある組織では、構成員は失敗を隠すようになり、
それが最終的にとんでもない悪い事態を招いていく。
それを防止するには、失敗を認め、オープンにし、知見として共有していくことを
奨励する風土を持つ組織にしていかねばならない。
失敗を認めることを、悪や恥、罪といった負の要素で処理してしまうか、
そうならないようにするか。
組織も、結局個人の感情をベースに動いているものなので、
結局は個人の「率直に失敗や過ちを認め、謝り、それが受け入れられる」という
思考・行動の原理・原則を伸ばすということが肝要だろうと思う。

また、風呂敷を広げて考えると、
世界的な平和の希求、のようなテーマについても、たとえば
「この宗教を皆が信じるようになれば…」的な考え方は、
正当化のプロセスに同じである。
違う宗教や文化を持つ人には、自分たちの宗教や文化の押しつけなど
何にもならないことをまず認めなくてはいけない。
しかし話を聞き、理解し合えるポイントがないのかを探していく共同的な
道を歩もうとすることで、開けてくるものがあるだろうと思う。
違いを認め、相手の心情を害することがあれば率直に詫び、対話を続けていく。
時間がかかることだけれど、結局それしかないのではないだろうか。

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なぜあの人はあやまちを認めないのか [単行本]
エリオット・アロンソン (著), キャロル・タヴリス (著), 戸根 由紀恵 (翻訳) 
Mistakes Were Made (But Not by Me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts Paperback
by Carol Tavris  (Author), Elliot Aronson  (Author) 

【本】みんなの進化論



進化論を本質的に理解することは決して難しいことではない。
そしてその考え方を適切に用いることで、
自然科学、社会科学、人文科学、そして文化や社会の現実に至る
実に幅広いテーマについて、
洞察に満ちた知見を得ることができる。
それは、人が社会のなかで思いやりに満ちた人生を送る
根拠ある手助けとなる。

それを、わかりやすく、情熱とユーモアたっぷりに
伝えてくれる本である。

本書にて言及されているウェブサイト、参考書籍などは
とてつもなく幅広い分野に及んでおり、
著者の卓見に賞賛の気持ちを持つ。
一方でまた、著者が述べるように、数多くの分野でまだ
進化論が正しく受け止められているわけではなく、
したがって進化論的見地からの研究が手つかずになっている現状がある。

考えてみると、
進化論そのものが、ダーウィンが理論としてとりまとめてから
まだ150年足らずで、
“競合する見解”(宗教的創造説や、あるいは進化論内にも分派があるが…)との
人々の信念という生態系における争いの中では後発もいいとこなのだ。

私自身は進化論に考え方に大きく開眼体験を得て、
非常に役立っていると思うけれど、
世の中のほかの信念体系にいる人々にすんなり受け入れられるものだとは
思っていない。
それがゆっくりとした歩みであれ、進めばいいなとは強く思う。

本書は別の信念体系にいる人々の思考をすぐ変えるようなものではないが、
逆に進化論を正しく伝えたい立場の人にとっては、
頼りになる、立ち返ることで気づきを得られるすばらしい書であろう。

また本書は、35章(最終章)の著者の人生回顧録がとてもいい味を出している。
今の奥さんと結婚する前の、前妻との出会いから別れの話まで書いていて(笑)、
だからこそ、読んでいて、著者の一人の人間としての姿がくっきり伝わった。
紆余曲折あって、落第寸前から、多くの仲間に支えられて
生物学研究者と、進化論を広める担い手としての生き方を送ってきた
様が、印象的である。
もちろん会ったこともないが、目の前で聞いたような気分だ。

とかく科学書というと「正しさ」のみの力説に終始して、
読み終わっても結局あとでなんだったのかよく分からないことがある。
だが本書は科学的視座に徹頭徹尾しながら
デイヴィッド・スローン・ウィルソンという人物の生き生きした語りなので、
読み手として正面から向き合って、考えたくなるのだ。

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みんなの進化論 [単行本]
デイヴィッド スローン ウィルソン (著), 中尾 ゆかり (翻訳)
Evolution for Everyone: How Darwin's Theory Can Change the Way We Think About Our Lives  

【本】Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール


問い1:アメリカがどうしてICT産業で、世界的競争力のある
    新興企業を続々と輩出できるのか?
問い2:ベンチャー企業のファウンダー(創業者)たちと、
    ベンチャーファンド、そして投資家たちの素顔とはどんなものか?

それらの問いは表裏一体であり、
そこを結びつけるのがシリコンバレーというエリアにある
Yコンビネーターという「学校」の活動だったのだ、ということを
本書を読んで、なんとなく理解できたような気がする。

内容については優れた記事がいろいろあるので、ここでは省く。
など。

個人的に思ったこととしては、
「スモールビジネス」と「スタートアップ」の違いを改めて考えたという点でも
面白かった。
一番の違いは、そのビジネスが爆発的にスケールする可能性の有無である。
それを可能にするのは、ネットワークを通じて迅速に広まりうるサービスという
ビジネスの性質というところであり、
だからコードを書いて、ソフトウェアで勝負するICTベンチャーが一番フィットする、という話。

なんでもかんでもパソコンに向かっていればICTベンチャーかというと、それは必要条件で
あって十分条件じゃないみたいなことは、認識として大事だなと。

また、サービスそのものはネットワークでアメリカ中、あるいは世界の人や企業を
ユーザとするような、スケールの「でかい」ものを狙いながら、
それを生み出すプロセスは、ポール・グレアムらの投資家兼アドバイザーとの直接対話に基づき、
そして3ヶ月間のシリコンバレーの一角の不便な土地の缶詰になる状態が肝である、という
こともまた面白い。
生身の対話と、厳しい「虎の穴」的な修行が大事なのである。

そして、スタートアップな生き方を当たり前だととらえる
シリコンバレーの空気と人のネットワークという環境こそが、
ベンチャーが次々生まれるうえで、一番大事なのだろうなと思った。
グレアムが言うように、環境がそうなら、人はそうなれるのである。

スタートアップに適した人生の条件…みたいな話もまた面白い。
25歳くらいで、家族を養うなどの制約があるほどのフェーズにはなく、
また子供すぎるわけでもない、というような人が多いということ。
もちろん、子持ちのファウンダーもいれば、20歳くらいという人もいるので、
そのあたりは多様化しているようだが、
やはり典型としては、すべての時間を顧客理解とサービス開発に投入できる、
そして必ず2人以上の気心知れたチーム、であること、となるみたいだ。

私自身、とてもこのスタートアップ創業者という厳しい生き方は選べないなと
思ってしまったけれど、
でもそこで得られる「リーン・スタートアップ」的な強烈な学びの体験には
心惹かれる点がないといったらそうでもない。

あとそうね、日本でシリコンバレーを作るには、みたいな議論がたまにあるが、
そんなことを思うくらいなら、有望そうな若者をシリコンバレーにがんがん
送り込めるような後押しの仕組みでも作ったほうがいいなと思った。
本当に「競争力あるスタートアップ」を目指して鍛える修行兼実戦の場として、
やっぱりシリコンバレー以外の場所では、才能ある人間の時間とエネルギーの
損耗が大きくて、結果的にモノにならない確率が高そうだなと思ったりする。

///
Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール [単行本]
ランダル・ストロス (著),
The Launch Pad: Inside Y Combinator Paperback
by Randall Stross (Author) 

【本】〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学




〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学
著 : ミケーレ・ボルドリン  デイヴィッド・K・レヴァイン
訳 : 山形浩生  守岡桜


Against Intellectual Monopoly [Kindle Edition]
Michele Boldrin (Author)

ひとことでいうと、
「知財(著作権&特許)の概念は『不必要悪』である」と
全力で斬って捨てる話である。

もちろん、そのロジックは、数々の歴史的データや産業分析の諸研究を
ベースに緻密に組み立てられ、
否定派(=知財擁護派)からの想定されうる反論も大方論破している。
私自身は読み終わったとき、ぐうの音も出なかった。

ワット、ライト兄弟、ワトソン、といった、
「歴史に残る発明王」が、いざ発明がなされたあとは特許の防衛者に
まわり、技術革新と経済発展を妨げる存在になっていたことは、
「偉人」というカテゴリでそれらの人物伝を学んだ者としてはかなりショックなのだが、
それは明らかに真実であると納得できた。

知財擁護派にはいくつかの持論のパターンがありうる。
発明者を特許で守って、稼げるようにしてあげなければ誰も発明しない、というのは
有力な1つの論だが、
本書ではこれを歴史が否定していることを明らかにしている。
そんな権利保護がない時代から、人は発明し、創作し続けていたし、
それらを自由に模倣して広めることこそが結局、文明の発展を後押しするコア・エンジンだったのである。
言い換えると、知財の仕組みは、文明の発展のブレーキでしかないのだ。

///
ちょうど、クリス・アンダーソンの
「Makers」を読み終わったところで、
本書と実に繋がりの深い部分があると感じた。

ネットで繋がって、誰しもがオープン・イノベーションに参入できることで、
驚くべき早さで改善と革新が続いていく。
それはソフトウェアに限らず、ついにハードでも起きるようになった。
そして大事な点として、
知財制度のもとでは「海賊」「侵害者」というくくりで悪と位置づけられる
人や組織が、
オープン・イノベーションの仕組みの中では、
ともに革新を進める「仲間」になるということは、驚くべき転換である。

///
知財保護という概念は、極めて西洋的だなと私は思った。

もちろん、著者も明示するように「コピー/リアルのもの」の所有権は
認め、これを保護しなくては自由で安全な市場経済は成り立たない。
それは、奪い合いの中で疲弊してきた人類の貴重な知恵の実践である。

しかし、それを「アイディア」に適用すると、途端に人類活動に対する
ブレーキになってしまう。
同じ「権利」という枠組みで認識してしまうと、知財擁護は当然のように
錯覚してしまうが(私も今までずっとそう思っていた)それは不必要悪、なのである。

もちろん、アイディアや創作物をコピーされないような仕組みを作ること
自体は、なんら悪ではない。
たとえば、先端的なソフトウェアを制作、販売する会社があるとして、
そのコードに、自社技術の粋を集めて、頑丈なプロテクトをかけることは、
それは企業の利益追求手段として、やりたければ、やればいいのである。
ただそこに、知財概念を持ち込んで、データコピーの行為そのものが悪だと
いう仕組みをつけてしまうこと、すなわちそれは残念ながら世界の現状であるが、
それは経済発展に対する不必要なブレーキなのだ。

///
私は本書を読んで、
日本の戦国時代のことを想起した。

戦国時代、火縄銃が日本に持ち込まれた。最初はたったの2丁。
歴史著作家の井沢元彦氏によると、
おそらくそれは、日本に火縄銃(銃そのものだけでなく、硝薬類?)を
売りつけて儲けようとしたビジネス・プロセスであっただろうということだ。
しかし、驚くべきことに、
日本の鍛冶職人たちは、その数少ないサンプルを分析して、
あっという間にコピーを作り、さらに改良を加えていった。
そして、製法が日本の多くの地域にどんどん拡散していくのも極めて短い時間だった。
結果的に、当初の外国商人たちがもくろんでいたビジネスはまるで成り立たず、
日本は世界一、火縄銃を持っている驚くべき軍事力レベルに達したのである。

これは結局、アイディアのコピーの力である。

一方、徳川家康によって戦国時代に完全に終止符が打たれ、
武器の開発などが厳しく制限されるようになると、
世界一だった日本の銃火器レベルは、戦い続けていた西洋諸国から比べ
どんどん相対的に落ちていき、幕末には、
圧倒的な軍事力の差となっていた。
そして開国を余儀なくされることになるわけだが、
これは自由な武器開発(に関わるアイディアの広まり)を禁止したことが
原因の大半といえるのではないだろうか。

///
さて、経済学の原則として「比較優位」があり、
従って得意なことを実施して、それを取引することで双方が得をする、という
経済が成り立つわけだが、
これはあくまで「ハードのコピー、量産品」の経済取引を念頭において
考えられた話ではないか。
また「共有地の悲劇」のように、資源量が規定されている状況では、
各人が制約なしに利益追求をすると全員が損をすることは真実である、が、
それは「量」に規定されている、ハードの問題のみに当てはまることだ。

優れたアイディアの広まりと、さらなる革新は、
独占、囲い込み、制約ではなく、自由な情報通信に基づく共有によって
もたらされ、それが人類全体の利益を高めることに一番貢献する。
この人類レベルのイノベーションの原理について、強調してもしすぎることはないと思う。

///
なお、Makersの流れと知財に関して、本書への言及も含めた
興味深いブログ記事があったので以下にリンクします。

『Makers』の世界が実現したとき、知的財産の世界では何が起きるか?(1/5)

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