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科学の力ってすげー?

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【本】〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学




〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学
著 : ミケーレ・ボルドリン  デイヴィッド・K・レヴァイン
訳 : 山形浩生  守岡桜


Against Intellectual Monopoly [Kindle Edition]
Michele Boldrin (Author)

ひとことでいうと、
「知財(著作権&特許)の概念は『不必要悪』である」と
全力で斬って捨てる話である。

もちろん、そのロジックは、数々の歴史的データや産業分析の諸研究を
ベースに緻密に組み立てられ、
否定派(=知財擁護派)からの想定されうる反論も大方論破している。
私自身は読み終わったとき、ぐうの音も出なかった。

ワット、ライト兄弟、ワトソン、といった、
「歴史に残る発明王」が、いざ発明がなされたあとは特許の防衛者に
まわり、技術革新と経済発展を妨げる存在になっていたことは、
「偉人」というカテゴリでそれらの人物伝を学んだ者としてはかなりショックなのだが、
それは明らかに真実であると納得できた。

知財擁護派にはいくつかの持論のパターンがありうる。
発明者を特許で守って、稼げるようにしてあげなければ誰も発明しない、というのは
有力な1つの論だが、
本書ではこれを歴史が否定していることを明らかにしている。
そんな権利保護がない時代から、人は発明し、創作し続けていたし、
それらを自由に模倣して広めることこそが結局、文明の発展を後押しするコア・エンジンだったのである。
言い換えると、知財の仕組みは、文明の発展のブレーキでしかないのだ。

///
ちょうど、クリス・アンダーソンの
「Makers」を読み終わったところで、
本書と実に繋がりの深い部分があると感じた。

ネットで繋がって、誰しもがオープン・イノベーションに参入できることで、
驚くべき早さで改善と革新が続いていく。
それはソフトウェアに限らず、ついにハードでも起きるようになった。
そして大事な点として、
知財制度のもとでは「海賊」「侵害者」というくくりで悪と位置づけられる
人や組織が、
オープン・イノベーションの仕組みの中では、
ともに革新を進める「仲間」になるということは、驚くべき転換である。

///
知財保護という概念は、極めて西洋的だなと私は思った。

もちろん、著者も明示するように「コピー/リアルのもの」の所有権は
認め、これを保護しなくては自由で安全な市場経済は成り立たない。
それは、奪い合いの中で疲弊してきた人類の貴重な知恵の実践である。

しかし、それを「アイディア」に適用すると、途端に人類活動に対する
ブレーキになってしまう。
同じ「権利」という枠組みで認識してしまうと、知財擁護は当然のように
錯覚してしまうが(私も今までずっとそう思っていた)それは不必要悪、なのである。

もちろん、アイディアや創作物をコピーされないような仕組みを作ること
自体は、なんら悪ではない。
たとえば、先端的なソフトウェアを制作、販売する会社があるとして、
そのコードに、自社技術の粋を集めて、頑丈なプロテクトをかけることは、
それは企業の利益追求手段として、やりたければ、やればいいのである。
ただそこに、知財概念を持ち込んで、データコピーの行為そのものが悪だと
いう仕組みをつけてしまうこと、すなわちそれは残念ながら世界の現状であるが、
それは経済発展に対する不必要なブレーキなのだ。

///
私は本書を読んで、
日本の戦国時代のことを想起した。

戦国時代、火縄銃が日本に持ち込まれた。最初はたったの2丁。
歴史著作家の井沢元彦氏によると、
おそらくそれは、日本に火縄銃(銃そのものだけでなく、硝薬類?)を
売りつけて儲けようとしたビジネス・プロセスであっただろうということだ。
しかし、驚くべきことに、
日本の鍛冶職人たちは、その数少ないサンプルを分析して、
あっという間にコピーを作り、さらに改良を加えていった。
そして、製法が日本の多くの地域にどんどん拡散していくのも極めて短い時間だった。
結果的に、当初の外国商人たちがもくろんでいたビジネスはまるで成り立たず、
日本は世界一、火縄銃を持っている驚くべき軍事力レベルに達したのである。

これは結局、アイディアのコピーの力である。

一方、徳川家康によって戦国時代に完全に終止符が打たれ、
武器の開発などが厳しく制限されるようになると、
世界一だった日本の銃火器レベルは、戦い続けていた西洋諸国から比べ
どんどん相対的に落ちていき、幕末には、
圧倒的な軍事力の差となっていた。
そして開国を余儀なくされることになるわけだが、
これは自由な武器開発(に関わるアイディアの広まり)を禁止したことが
原因の大半といえるのではないだろうか。

///
さて、経済学の原則として「比較優位」があり、
従って得意なことを実施して、それを取引することで双方が得をする、という
経済が成り立つわけだが、
これはあくまで「ハードのコピー、量産品」の経済取引を念頭において
考えられた話ではないか。
また「共有地の悲劇」のように、資源量が規定されている状況では、
各人が制約なしに利益追求をすると全員が損をすることは真実である、が、
それは「量」に規定されている、ハードの問題のみに当てはまることだ。

優れたアイディアの広まりと、さらなる革新は、
独占、囲い込み、制約ではなく、自由な情報通信に基づく共有によって
もたらされ、それが人類全体の利益を高めることに一番貢献する。
この人類レベルのイノベーションの原理について、強調してもしすぎることはないと思う。

///
なお、Makersの流れと知財に関して、本書への言及も含めた
興味深いブログ記事があったので以下にリンクします。

『Makers』の世界が実現したとき、知的財産の世界では何が起きるか?(1/5)
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【本】MAKERS―21世紀の産業革命が始まる



まず私は著者に詫びないといけない。
本書を読む前、メディアから漏れ聞く情報で、
「3Dプリンタの入門書」程度なのではないかと想像していたことを。

とんでもない。本書は、まさしく「新たな産業革命」を
確かに描き出した、ものづくりの過去から現在、未来に至るまでの
マイルストーンとしての記録と言えるようなものであり、
また著者クリス・アンダーソンの家族と個人の過去から未来への
メイカー・スピリットの継承を記憶した書でもある。

まとめなどは下記リンク先に譲って、
とりあえず私の所感をメモっておくと。

ウェブという手段と、オープンソースという思想が
不可分に結着し、低コストで国境や言語を超えた情報交換を可能にした結果、
まずさきに情報の世界に革命が起こり、
しかしものづくりについては、技術進歩や文化普及がボトルネックで
進んでいなかったのだが、
3Dプリンタ(これだけを取り出すと、本書を読む前の私のような誤解が
生まれやすいので気をつけないといけないが)のような卓上成形ツールや、
あるいは少数受託生産というビジネス方式が続々と発展したことで
ボトルネックが解消されていき、
そして資金調達という、数千年来の人類がビジネスを営むうえで
課題であり続ける部分を、ウェブ先導のクラウドファンディングという
文化の成熟によって、イニシャルで多数の個人からお金を集めるという
モデルが成り立ったことによって、
ついに「メイカー」なビジネスが、既存の大量製造方式で応えられなかった
課題、顧客需要を満たすものとして、世界を変えるフェーズに
入ってきた、というところかと思う。

このムーブメントは本物で、本当に世の中へのインパクトをもたらすだろうと
思う反面、
しかし、私は日本からあんまり出たことがないのもあって、
たとえばアメリカのITカルチャーの強いところでのみ騒がれているだけなのか、
もっと広いレベルで今時点でインパクトがあるのかがよくわからん、とも思う。

たとえば日本で見ると、やっぱり大企業のものづくりへの信仰が篤いし、
さもなくば、本書で出てくる「エッツィー」的な手作りを讃える文化、というところで
その間を切り開いていくようなメイカーな感じはまるで見られない気がする。

ウェブをはじめとした情報のみで完結する世界と違って、
現実のものが動くのは、その摩擦力の大きさ、そして既存のリプレイスの
コストが壁になって、なかなか変わらない。
もちろん、著者はそんなことはよくわかっていて、それでもなお、
今世紀はどんどんメイカー的な流れが、これまでのビジネスのあり方を変え、
大企業が人件費の安いアジアに製造拠点を移すだけ、という手法ではなく、
デザインから、ロボットを駆使した生産(受注委託も含め)によって
製造の拠点は先進国に戻ってくるだろうと予測している。

さて、日本だとそのあたりはどうなのだろう。

-----------------------------
まとめ-「MAKERS―21世紀の産業革命が始まる」に出てくるサービスや会社や人物を調べてみた。
『MAKERS』を1章140文字でまとめてみた - NAVER まとめ 
http://bit.ly/1fvjvbC

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Makers: The New Industrial Revolution [Kindle Edition]
Chris Anderson (Author)

【本】凡才の集団は孤高の天才に勝る―「グループ・ジーニアス」が生み出すものすごいアイデア

心理学研究者のキース・ソーヤー(Keith Sawyer)による
集団での創造性発揮に対して
豊富な事例研究から、現実に使えるヒントをまとめた
「実用書」。
原題は Group Genius The Creative Power of Collaboration.

著者はもともとがチハイ・チクセントミハイの弟子というところから
研究をはじめており、
「フロー状態」に関して専門家である。
あくまでチクセントミハイが「個人のフロー」に焦点を当てていたのに対して
著者は、集団がそのようなことを起こせるのか、起こせるならその鍵は何か、
というところに焦点を当てている。

面白い知見が詰まっているのだが、
私としては以下のことが特に面白かった。

「すごい発明・発見が独力によるものであることは、まずない」
→私たちは、天才の閃き、という説明を好むし、
 また当事者も、そう思わせたい、とか、そう思い込んでいる、
 ということが実に多いが、
 綿密に調べてみると、
 いずれも、数多くの人とのコラボレーションの結果生まれた
 方策、というくらいのものである。

「異質の集団は、同質の集団より、はるかにコラボレーションの創造を生む」
→当たり前のような気もするが、
 研究として、実証された話として認識できたのは、
 私にとっては初めてだった。

「親密度は低すぎても高すぎても、最適な創造性は発揮されない」
→100年かかる科学的発見はさておき、
 現実の企業や研究組織による活動は、リアルタイムな人間どうしの
 やりとりから生まれる。
 そうしたときに、親密度が低いと、文脈の共通理解がもたれないが、
 一方で親しくなりすぎると、相互の反応が刺激的でなくなって
 創造性への寄与が下がるという。
 これは面白い。
 確かに私自身、新しいチームや、別の会社に移った場合、
 最初は共通理解を持つまで自分が何もできない感じがして辛いのだが
 ある程度、理解できて親しみを持てるようになると、
 個性に基づく相互刺激を適切に発揮できるような気がする。
 ただ、これがそのまま固着してしまうと、多分新しいことは生まれづらいだろう。

今日、とりわけB2C、消費者向けビジネスでは、
あらゆる商品やサービスがコモディティ化しつつある。
よほど「その商品じゃないとだめ」という理由がないと、
値段によって選択肢からあっさり外される運命にある。
それに抗うには、常に創造的に顧客の問題を解決しうる商品を
開発し、営業していくことが求められる。
となると、その企業集団は、開発の1部門や、何かの事業部だけ
ではなく、組織全体が集団で創造できる仕組みと文化を持っていることが
競争力の持続の鍵になると思われる。
本書で示されるように、同質化集団だけではさして創造的ではない。
たとえば企業組織の中でも、営業と開発、国籍の違う人々、など、
異質性を持つものどうしの接点を持ち、そこから協同的にすぐ取り組めることが
重要だと思う。

さて、ここから敷衍して。
なぜ日本企業の商品やサービスの創造性が世界の中で
落ちているかのように見えるか、という問いを立て、それが仮に正しいとして、
それは相対的に他が上がっているからか、日本が下がっているからか、は分からない。
が、ひとつ思うのは、80年代までに経験していた
右肩上がりの経済成長状態というのは、
「社内のコラボレーションと新規挑戦を”飼う”余裕があった」
のではないかという仮説である。

プロダクト・ポートフォリオのマトリクスをイメージしたときに、
金のなる木が十分に仕事をしてくれていると、会社として財務的に
不安がないので、問題児を持っておく余裕ができる。
それが、やがてスターとなっていくことが、ほっといてもなされていたのでは、と。

しかし、バブル崩壊以来成長が止まり、既存産業の衰退が加速する中で、
すぐに結果の出ない活動や挑戦は、お金の無駄遣いというように
経営者や、社内・社外の財務的な部分を気にする人々が考えてしまい、
それを厳しく追放するようにした結果、
さて、次の問題児→スターを生む流れがぶっ壊されてしまったのではないだろうか。
それは当然、企業全体の衰退を早めるのだが。

仮に大企業がそういう事業の新規展開ができない体質になったとするなら、
それはベンチャー企業などにまかされることになるが、
そうなると、たとえば米国と日本のように、ベンチャーの事業拡大を加速させる
仕組みと文化が整っている国とそうでない国があったときに、
歴然たる差が生まれてしまう。
ICTに関わる産業では、その速度特性からしても、差が顕著だったのかもしれない。

という、本書の感想とは直接関係ないけれど、思ったこと。

///
Group Genius: The Creative Power of Collaboration [Kindle Edition]

【本】新ハーバード流交渉術 論理と感情をどう生かすか

原題は
「Beyond Reason  -Using Emotions as You Negotiate」

前著「Getting to Yes」では
原則立脚型交渉を打ち出し、ベストセラーとなって
交渉の教本となったが、
訳者によると「楽観的すぎる」「感情の問題に触れていない」
などの批判があがったとのことである。
それに対する実践知としての回答が本書だといえよう。

要約としてはまとめのp.272にあるのでそれを書くと
「第一には率先して行動するべし」
「第二は感情の問題ではなくて欲求の問題を解決すべし」
となり、その交渉相手の核心的欲求が5つに分類できる、
それが「価値理解」「つながり」「自律性」「ステータス」「役割」である。
核心的欲求に焦点を当てることの重要性は、
本書の中で数々のエピソードで力説されている。

とりわけ、一歩間違えれば戦争というような
国際政治のシビアな交渉場面で、感情に振り回されず
核心的欲求を重視して、相手のそれを尊重することで、
どれだけの有益な交渉成果にたどり着けるかが決定的に変わることは
ものすごいことだなと思った。

ビジネスの、物販などは核心的欲求というところまで
深掘りできないこともしばしばあると思う。
そもそも買い手が強い核心的欲求を持つわけでないことも多いだろう。

しかし、国民や支持者の声を双方が背負った政治交渉では
交渉当事者がそれぞれに入り組んで、かつ強い欲求を背負っていることが多く、
そうなってくると相互の利益を主張だけするような
交渉では間違いなく何も事態は改善しない。
本書で挙げられた考え方に沿って、交渉を0からリードしていき、
最適な結果を目指すことが肝要だ。

私も含め、勘違いしている人が多そうだと思うのは
「交渉」と聞いた瞬間にゼロサムゲームを連想してしまい、
自分の利益を失わないようにだけ立ち回ろうとするのが交渉だと
考えてしまいがちな点だ。

もちろん、それは勘違いである。
双方が核心的欲求を充足するような、建設的交渉の追求は
可能であり、
そしてそれは天才の神業というわけではない。
ごくふつうの人でも、核心的欲求に焦点を当てるという明確な
視座をもち、相手へのリスペクトを正しく表明しながら交渉に臨むことで
相当に実現可能であると感じられた。

私も今後、本書で述べられている交渉術をぜひ活用したいと思う。

経済学が明らかにするところで比較優位の原則が成立するところでは
双方が得意なものを作って、それをうまい量で交換することで
それぞれに多種を作るよりも生産性が高いことが知られている。
しかし、これも考えてみれば「交換」をうまくやらないと、
この結果にはたどり着かないのである。

おそらくは、ヒトの進化と繁栄のプロセスで、
分業と協力、そしてそれを実現するための交渉のツールが
より密度高く見られるようになってきたことであろう。

しかし、私たちは「先天的に」交渉能力を備えているわけではない。
言語を習得する能力を赤ちゃんは持つが、それは習得能力であって
言語そのものを持って生まれるわけではない。
交渉能力も同じようなものではないか。
生まれでて、泣くとか笑うとかの感情の発露の段階を終わると、
そこから先は核心的欲求を持つようになり、その実現には
自分の感情をただ出すだけではまるで不十分と知る。

そこで、相手のことを考えた交渉術を持つ価値にきづき、
それを洗練させていくことで、より充足した生き方ができる可能性が
高まると思うのだ。

というこれだけ大事な話なのに、日本の学校で教えてくれた
試しがないんだよな…(苦笑)。
興味を持てない教科教育にさく時間やコストを、こういう人間社会の
根本的な能力の重要性の気づきやトレーニングに宛てることは
できないもんかね〜。

/////

本書内容についてはこちらが詳しい
http://www.gashimax.com/wiki/index.php?%BF%B7%A5%CF%A1%BC%A5%D0%A1%BC%A5%C9%CE%AE%B8%F2%BE%C4%BD%D1
http://wolf-masa.blogspot.jp/2006/09/blog-post_16.html
///
Beyond Reason: Using Emotions as You Negotiate [Kindle Edition]
Roger Fisher (Author), Daniel Shapiro (Author) 

【本】一万年の進化爆発


本書の面白さは、
綿密なデータの分析を遺伝学および人類学の立場に加え
歴史の視点も持つことで、
きわめて説得力あるひとつの仮説を提示して
読み手を納得させていくところにある。

その仮説とは、人類はこの数千年の間にも
選択の結果によって、遺伝子と表現形質のレベルで
進化を続けている、というところにある。

乳糖耐性、抗マラリア、アルコール分解能力、アシュケナージ系ユダヤ人のIQなど
実例を科学的に検証しており、
読んでみると納得なのだが、
逆になぜ、こんな当たり前のことが他の科学者や
論壇から出てこないのかなと思った。


ひとつには、人種差別の問題と大きく絡んでいると思う。
肌の色をはじめ、人種差別によって、人類は歴史にかなり汚点を
残しており(あるいはいまでも続いている)、
その撤廃が今日なお重要課題である。
が、それを大義に掲げるときに、人種や集団によって明らかに遺伝子にも
形質にも差異が生じている、という本書のような説は「不都合な真実」に
なってしまう恐れがあって、
ほかの人類学者たちは、出アフリカ以降の人類は違いはありません、という
政治的な立場をとらざるをえない空気が、とりわけアメリカなどでは
強いのかな、と思った。

かつて宗教的創造説が、地動説にはじまりダーウィニズムに至る
科学革命の中で否定され続ける中で、
信教していた科学者たちが直面した苦悩にも似ているかもしれない。

あとは逆に、実際に人種を超えての婚姻や子供の誕生が当たり前になってきて
一般の人々の意識のなかでも、人種の違いを意識することが減ってきた、という
政治・社会的には望ましい状況が、むしろ遺伝的差異の表現形質への違いを
意識させることを減らすようになってきたこともあるかなと思う。

要するに、ナチス時代のアーリア純血思想、優生学的なものが主流な環境だったら
きっと本書の説は諸手で歓迎されたのだろう(苦笑)。

ナチスの人種主義とそれに基づく政策は、世界を恐怖に陥れ、いまだに負の記憶と
なっているわけだが、
優生学そのものは「間違っていた」が、純粋に科学的に見ると、
今日の自然科学、人類学の先端的知見に通じるところもあった、という
なんともいえない状況に思われる。

私自身は、本書を読んで、かなり納得した。
序盤で、ネアンデルタールと現生人類の祖先との混血があったという説を
著者らは主張する。
私は、これまでその説を2〜3回きいたことがあったが、若干トンデモ寄りに思っていた。
しかし、著者らの言う方が説得力があると考え直した。

理由としては、生物種が違っても混血は可能であるという真実がひとつ。
動物の「あいの子」のように、数百万年前にたもとをわけた種でも繁殖は可能である。
ヒトの祖先とネアンデルタールの分岐の年数にもよるが、物理的に混血は可能だろう。

もうひとつは、ある遺伝子が優位であるなら、運にもよるが、それが数世代で
集団にあまねく広まることは遺伝学的に考えると普通にありえるという計算が成り立つこと。
残念ながらまだネアンデルタールの遺伝子が流入した決定的証拠はないわけだけれど、
数万年前のヒトの劇的な創造性をはじめとする能力獲得に彼らの因子が寄与したと
考えることは、けっして不合理ではない。

また、本書が説得力あるのは、上述したが、
現実の歴史的事実をベースに、ある政策なり、圧政なり、侵攻なりが行われて
集団の空間的移動であるとか、数の増減に決定的影響がもたらされた結果を
遺伝学の立場から証明できているところにある。

その結果、紀元後の2000年程度だけを仮に見ても、そうした歴史事実によって
相当の遺伝子の残る残らないが左右され、ある集団を特徴づけていたりする。
ヒトも、リアルタイムで変化している「遺伝子を持つ」生物なんだなと改めて認識した。
私が本書を読んでふと思ったのは、
日本人ってどういうふうな遺伝的特徴があって、およびそれが行動や思考に
どう影響しているのかなということ。
もちろん、日本人にも弥生系と縄文系のルーツがあり、その混合があり、
さらには歴史の中で海を越えてわたってきた人々の遺伝子も入っているだろうから、
単純に定義できないのはわかったうえで言っている。
それを踏まえてもなお、日本人の気質とはなにかと考えたときに、
数千年以上にわたり、この島国のなかの暮らしに適応的な遺伝子がのこって、
それがいまなお影響している部分は少なからずあるのではと思う。

それが何かを考えてみたい。



一万年の進化爆発 [単行本]
グレゴリー・コクラン (著), ヘンリー・ハーペンディング (著), 古川奈々子 (翻訳)

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非公開

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