忍者ブログ

科学の力ってすげー?

MENU

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【本】シゴトの渋滞、解消します! 結果がついてくる絶対法則




渋滞学の専門家による、
「仕事の渋滞をなくすための思考法と実践法」を
個人→部内→社内の3段階にブレークダウンして伝える一冊。

ちょうど、本書を読む少し前に、
エイドリアン・ベジャンの「流れとかたち」を読んだあとだったので
その考え方に通じるものが非常にあるなと思って、大いに納得した。

ベジャンは、自然の原理とは「流れをよくするように形作られる」と
打ち出し、自然現象から社会分析まであらゆるものにその原理が
生きていることを示してみせた。
本書の著者、西成氏は、「なぜ良き流れにならず詰まるのか?」という
視点から、道路渋滞から組織論までの渋滞のメカニズムをひもとき、
それに実戦的な解決策を打ち出してくれる。
そういう意味では、相補的な捉え方をすると、実に良いなと思った。

本書で一番面白いのは、著者が自分の学生時代から
不遇(?)の研究者の駆け出しの時代を語る部分であった。
そこで著者は「社会の誰からも必要とされない密室の研究」に
打ち込むことの空しさを噛み締め、「社会の難問解決」へと
研究、そして生き方の舵を切っていくことになる。

様々な科学分野を横断的につなげながら、
独自性を打ち出し、かつ世の役に立つ研究に取り組むという
スタイルを確立していくのである。
ここのエピソードの本音感が、苦労を感じさせるとともに
とても示唆に富んでいると思うのである。

これだけ「無駄とり」の研究を重ねている人は、
さぞ生き方に無駄がないのかと思うと、著者はむしろそういう
「勉強」(=他の誰かによって踏み固められた安定的な道)に
留まることには否定的で(少なくとも社会に出たあとには)、
それこそ悪戦苦闘して渋滞の中を前進していくことこそ「仕事」で
あると強く主張している点は、
よく理解しておくべきことである
(というか、本書のようなスマートな題名を見せられたら、
 そう思ってしまうリスクがあるんじゃないかなぁ…笑)

とりあえず渋滞を起こさないコツだけメモっておこう。
渋滞は、自分だけが早く着こうという利己の姿勢から
車間距離をつめすぎてしまうことから起こる。
他者の動きを良く見て、広めに車間距離をとれば、先行車が
ブレーキをしても、その影響を吸収することができる。

結局のところ、利己意識を抑えて、余裕を持つことが
自分も周りも結果トクをすることになるというのは、
工学が道徳に科学的根拠を与えるとも言えて、なるほど、すばらしい。


PR

【本】流れとかたち――万物のデザインを決める新たな物理法則



ポピュラー・サイエンスの著者たちというのは、私の印象では、
サイエンス業界内では手を取り支え合い、
科学に否定的な業界に団結して立ち向かっている、という感がある。

たとえば、後天環境が全てという社会主義的思い込みを論破しようとする
スティーブン・ピンカーが、進化生物学者のリチャード・ドーキンスを
援用するような。

が、本書の著者ベジャンは、そういったサイエンス業界の面々に対して、
平然と「間違っている」と言ってのける。
それは、彼らが固有の専門分野に閉ざされた視座で自然科学を扱おうとするから、
もっと大きくて、統合的な原理を見逃している、という主張である。

その統合原理こそ、コンストラクタル法則、ということになる。

このコンストラクタル法則、説明が簡単なようで難しいが著者の言葉を借りると
「自然界において肉眼で見える形と構造の現れ方を支配する物理法則」
「流れるもの動くものはすべて存在し続けるために進化するデザインを生み出す」
ということである。

この法則、納得できますか、トンデモに聞こえますか?
コンストラクタル法則を耳にし、考えることになった人は、
おそらく、前者か後者にくっきり分かれるような気がする。

私自身は、前者である。
常々これまで、自己組織化と、べき乗の分布が様々なところに共通して
見られることに私は不思議さを感じていた。
たとえば、ある系の中の岩石の質量と個数の関係を見れば、べき乗分布になるし、
あるいは本やCDの売り上げランキングもべき乗になる(そしてロングテールが生まれる)。
また、株式市場の価格の変動は、正規分布にはおさまりきらない異常値が出る、
それは故マンデルブロやタレブが言うようにランダムではないべき乗の世界だから、ということになる。

こういった、自然現象や人間社会の数値分布になぜ類似性があるかということについて、
「それは自己組織化される系」だから、というのは、分かるようでいまいちしっくり来ない
答えだと思っていた。

だが、ベジャンのコンストラクタル法則の視座に立てば、そこには納得いく解が生まれる。
それらはいずれも相互作用しあって、「流れをよくする」ようなデザインを構成し続けるからこそ、
階層化が発生し、少数の大きな物と、多数の小さな物とが最適な効率を目指して配分され続けるという
現象がおこり、結果、べき乗的な分布を目にする、ということになる。
自然現象も、人間社会の市場も、流れているという点では同じことで、
逆に社会主義体制下のように、流れを不自然に止めてしまうと市場は機能せず、代替的に闇取り引きを
せざるを得ないということになるのではと思う。

さてしかし、私のようなふつーの人間は、コンストラクタル法則を理解して、
どうよりよく生きることにつなげるか。そこが大切だと思うのである。
私の今時点での答えは「不自然に流れを止めている物を見つけ、それを取り除く」ことを
重視していけばよいのでは、ということである。

たとえば、昨今TPPで議論されるような関税障壁の類いにしても、あれは一種の市場規制な
わけで、いるかいらないかでいえば、コンストラクタル法則の原理を考えれば、まずもって
いらないのである。
国内産業の保護はどうする、という反論がありそうだが、そもそも保護しないと生きられない
産業であれば、いらないのだ。
実際、日本の自動車産業にしても、国は大して保護もしてくれなかったのに、
それは本当に需要があり、かついいものを適切に供給し続けた企業、業界の力で、
結果的に大きく育ったのである。
いっぽう、補助金漬けにした農業がどうなっているかというと、触れるまでもない。

おそらく自然界と人間社会で違うのは「既得権」に心をがっちりロックされるてる人とか、
あるいは「知財保護」のような実利の乏しいものにこだわって流動性を止める人とか、
そんなのが多いので、流れが悪くなっていることがたくさんあるのだと思う。

コンストラクタル法則そのものが、科学界で受け入れられるのかどうかは定かではないが
(この細分化の科学の「流れ」を見ると難しい気はする)、
むしろ経済・政治や市民生活のようなフィールドから、有効に生かしていくほうが面白い気はする。

---------------------------------------------------------------------
流れとかたち――万物のデザインを決める新たな物理法則 [単行本]
エイドリアン・ベジャン (著), J. ペダー・ゼイン (編集), 柴田裕之 (翻訳)
Design in Nature: How the Constructal Law Governs Evolution in Biology, Physics, Technology, and Social Organization [Hardcover]
by Adrian Bejan , J. Peder Zane

【本】なぜあの人はあやまちを認めないのか



justify: 正当化する
我々はどうしてその心理に陥ってしまい、そしてその結果何が起こるのか。
そこから抜け出す術はあるのか。
豊富な事例と心理学の知見に基づき、わかりやすく、
また厳しさと温かさをもって、生きるうえで大いに役立つ気づきを
与えてくれる一冊だ。

正当化の心理で一番恐ろしいというか、ある意味ですばらしい仕組みは
「純粋な善意の意識」でもって、現実をねじ曲げるところである。
心地よい正当化のハンモックの中に回帰していくことは、
真実を認め、ばつの悪い思いをするよりも、その場としては遥かに気持ちがいい。
だが、それを続けていくと、手が付けられないほどに自己弁護のピラミッドを
誤った方向に降りてしまい、ひどい違法行為や、人として許されざる行為をしてしまう。

日本の畑村洋太郎さんの提唱する「失敗学」にも大いに通じる話だと思った。
失敗を叱責する風土のある組織では、構成員は失敗を隠すようになり、
それが最終的にとんでもない悪い事態を招いていく。
それを防止するには、失敗を認め、オープンにし、知見として共有していくことを
奨励する風土を持つ組織にしていかねばならない。
失敗を認めることを、悪や恥、罪といった負の要素で処理してしまうか、
そうならないようにするか。
組織も、結局個人の感情をベースに動いているものなので、
結局は個人の「率直に失敗や過ちを認め、謝り、それが受け入れられる」という
思考・行動の原理・原則を伸ばすということが肝要だろうと思う。

また、風呂敷を広げて考えると、
世界的な平和の希求、のようなテーマについても、たとえば
「この宗教を皆が信じるようになれば…」的な考え方は、
正当化のプロセスに同じである。
違う宗教や文化を持つ人には、自分たちの宗教や文化の押しつけなど
何にもならないことをまず認めなくてはいけない。
しかし話を聞き、理解し合えるポイントがないのかを探していく共同的な
道を歩もうとすることで、開けてくるものがあるだろうと思う。
違いを認め、相手の心情を害することがあれば率直に詫び、対話を続けていく。
時間がかかることだけれど、結局それしかないのではないだろうか。

---------------------------------------------------------------------
なぜあの人はあやまちを認めないのか [単行本]
エリオット・アロンソン (著), キャロル・タヴリス (著), 戸根 由紀恵 (翻訳) 
Mistakes Were Made (But Not by Me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts Paperback
by Carol Tavris  (Author), Elliot Aronson  (Author) 

【本】みんなの進化論



進化論を本質的に理解することは決して難しいことではない。
そしてその考え方を適切に用いることで、
自然科学、社会科学、人文科学、そして文化や社会の現実に至る
実に幅広いテーマについて、
洞察に満ちた知見を得ることができる。
それは、人が社会のなかで思いやりに満ちた人生を送る
根拠ある手助けとなる。

それを、わかりやすく、情熱とユーモアたっぷりに
伝えてくれる本である。

本書にて言及されているウェブサイト、参考書籍などは
とてつもなく幅広い分野に及んでおり、
著者の卓見に賞賛の気持ちを持つ。
一方でまた、著者が述べるように、数多くの分野でまだ
進化論が正しく受け止められているわけではなく、
したがって進化論的見地からの研究が手つかずになっている現状がある。

考えてみると、
進化論そのものが、ダーウィンが理論としてとりまとめてから
まだ150年足らずで、
“競合する見解”(宗教的創造説や、あるいは進化論内にも分派があるが…)との
人々の信念という生態系における争いの中では後発もいいとこなのだ。

私自身は進化論に考え方に大きく開眼体験を得て、
非常に役立っていると思うけれど、
世の中のほかの信念体系にいる人々にすんなり受け入れられるものだとは
思っていない。
それがゆっくりとした歩みであれ、進めばいいなとは強く思う。

本書は別の信念体系にいる人々の思考をすぐ変えるようなものではないが、
逆に進化論を正しく伝えたい立場の人にとっては、
頼りになる、立ち返ることで気づきを得られるすばらしい書であろう。

また本書は、35章(最終章)の著者の人生回顧録がとてもいい味を出している。
今の奥さんと結婚する前の、前妻との出会いから別れの話まで書いていて(笑)、
だからこそ、読んでいて、著者の一人の人間としての姿がくっきり伝わった。
紆余曲折あって、落第寸前から、多くの仲間に支えられて
生物学研究者と、進化論を広める担い手としての生き方を送ってきた
様が、印象的である。
もちろん会ったこともないが、目の前で聞いたような気分だ。

とかく科学書というと「正しさ」のみの力説に終始して、
読み終わっても結局あとでなんだったのかよく分からないことがある。
だが本書は科学的視座に徹頭徹尾しながら
デイヴィッド・スローン・ウィルソンという人物の生き生きした語りなので、
読み手として正面から向き合って、考えたくなるのだ。

/////////////////////////////////////////
みんなの進化論 [単行本]
デイヴィッド スローン ウィルソン (著), 中尾 ゆかり (翻訳)
Evolution for Everyone: How Darwin's Theory Can Change the Way We Think About Our Lives  

【本】Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール


問い1:アメリカがどうしてICT産業で、世界的競争力のある
    新興企業を続々と輩出できるのか?
問い2:ベンチャー企業のファウンダー(創業者)たちと、
    ベンチャーファンド、そして投資家たちの素顔とはどんなものか?

それらの問いは表裏一体であり、
そこを結びつけるのがシリコンバレーというエリアにある
Yコンビネーターという「学校」の活動だったのだ、ということを
本書を読んで、なんとなく理解できたような気がする。

内容については優れた記事がいろいろあるので、ここでは省く。
など。

個人的に思ったこととしては、
「スモールビジネス」と「スタートアップ」の違いを改めて考えたという点でも
面白かった。
一番の違いは、そのビジネスが爆発的にスケールする可能性の有無である。
それを可能にするのは、ネットワークを通じて迅速に広まりうるサービスという
ビジネスの性質というところであり、
だからコードを書いて、ソフトウェアで勝負するICTベンチャーが一番フィットする、という話。

なんでもかんでもパソコンに向かっていればICTベンチャーかというと、それは必要条件で
あって十分条件じゃないみたいなことは、認識として大事だなと。

また、サービスそのものはネットワークでアメリカ中、あるいは世界の人や企業を
ユーザとするような、スケールの「でかい」ものを狙いながら、
それを生み出すプロセスは、ポール・グレアムらの投資家兼アドバイザーとの直接対話に基づき、
そして3ヶ月間のシリコンバレーの一角の不便な土地の缶詰になる状態が肝である、という
こともまた面白い。
生身の対話と、厳しい「虎の穴」的な修行が大事なのである。

そして、スタートアップな生き方を当たり前だととらえる
シリコンバレーの空気と人のネットワークという環境こそが、
ベンチャーが次々生まれるうえで、一番大事なのだろうなと思った。
グレアムが言うように、環境がそうなら、人はそうなれるのである。

スタートアップに適した人生の条件…みたいな話もまた面白い。
25歳くらいで、家族を養うなどの制約があるほどのフェーズにはなく、
また子供すぎるわけでもない、というような人が多いということ。
もちろん、子持ちのファウンダーもいれば、20歳くらいという人もいるので、
そのあたりは多様化しているようだが、
やはり典型としては、すべての時間を顧客理解とサービス開発に投入できる、
そして必ず2人以上の気心知れたチーム、であること、となるみたいだ。

私自身、とてもこのスタートアップ創業者という厳しい生き方は選べないなと
思ってしまったけれど、
でもそこで得られる「リーン・スタートアップ」的な強烈な学びの体験には
心惹かれる点がないといったらそうでもない。

あとそうね、日本でシリコンバレーを作るには、みたいな議論がたまにあるが、
そんなことを思うくらいなら、有望そうな若者をシリコンバレーにがんがん
送り込めるような後押しの仕組みでも作ったほうがいいなと思った。
本当に「競争力あるスタートアップ」を目指して鍛える修行兼実戦の場として、
やっぱりシリコンバレー以外の場所では、才能ある人間の時間とエネルギーの
損耗が大きくて、結果的にモノにならない確率が高そうだなと思ったりする。

///
Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール [単行本]
ランダル・ストロス (著),
The Launch Pad: Inside Y Combinator Paperback
by Randall Stross (Author) 

× CLOSE

プロフィール

HN:
Masaki
性別:
非公開

P R

× CLOSE

Copyright © 科学の力ってすげー? : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]